「山登りや散歩が好きなので、箱根で二拠点をはじめてからは、いろいろ歩き回っていましたが、旧街道ははじめてです」
今回、箱根を旅するTRANSIT編集長の林 紗代香さんが言う旧街道とは、正確には旧東海道のこと。いまからおよそ400年前。江戸時代に多くの人が旅をした場所だ。
「箱根に何度も通っている方でも知らないことが多い場所なんですが、歴史を感じながら歩ける、すごく箱根らしい場所でもあるんですよ」
今回案内してくれるガイドの金子 森さんが応える。旧街道は海外からのお客さんにも「ザ・ニッポンがここにある!」と、評判が良いという。
まず最初にふたりが訪れたのは豊栄荘。1956年創業の温泉宿だ。
いきなり温泉!? ではなくて、これからのハイキングに備えてお水を分けてもらうのが目的。豊栄荘のご主人である原健一郎さんをはじめ、旧街道で商売をしている方々が協力して始めた「寄人プロジェクト」は、立ち寄ってくれた人に無償で箱根の美味しい水を提供するというもの。
「お水というのは建前みたいなところもありまして、街道に古くからある、おもてなしの気持ちというのもありますし、これをきっかけに旅の方と地元民が触れあえる機会になれば良いなという風にも考えているんです。コロナ禍で分断されてしまった人の繋がりを、もう一度取り戻したいという想いがあります」
「旅って地元の人と触れ合う機会って実はあまり多くないですからね。でも海外の取材なんかでもよく感じるんですが、息を飲むような景色よりも、地元の人との他愛もない会話のほうが、後々思い出したりするんですよね」
豊栄荘はキジ料理が有名な温泉旅館。日帰り温泉も楽しめる。
写真中央が寄人プロジェクトの発起人のひとりである原健一郎さん。
ボトルを持参すれば、箱根の美味しい水を提供してくれる。
豊栄荘のラウンジからの眺めが素晴らしい。山桜の名所でもある。
豊栄荘を後にして、舗装路から逸れて須雲川沿いの小径を畑宿のほうに歩いて行く。
「箱根に引っ越してきて、その自然の豊かさに驚きました」と林さんが言うように、町のほぼ全域が国立公園にも指定されている箱根はちょっと脇に入っただけで、深い森が広がっている。
「箱根の植生はとても豊かでハコネと名の付くものが多いです、例えば脇に生えているササはハコネダケといってこの周辺に多く分布しています。樹種も豊富だから、箱根の伝統工芸である寄木細工も生まれたんだと思います」
そんな話をしているうちに畑宿に辿り着く。江戸時代後期に生まれた箱根の寄木細工発祥の地。現在もその技術は受け継がれていて、今回訪れた「金指ウッドクラフト」もそのひとつ。金指ナナさんから、寄木細工についての説明を受けながら、林さんは寄木細工で作られた箱根駅伝往路優勝のトロフィーに目を丸くしている。
「実は、こちらを手がけた金指勝悦さんがご存命のときに、プライベートでこちらにお邪魔させてもらったことがあるんです。丁寧に工房なども見せてくださって。このトロフィー、デザイン画などなしで作るっておっしゃってましたから、ちょっと想像を超える技術ですよね」
「僕が海外の方を案内するときにも、ここの寄木細工は大人気です。購入していく方も多いですね」
「わたしも海外に行ったら、こういう手仕事のものを買うことが多いです。その地に古くからあるものって、風土・文化に深く関わっているものがほとんどですから」
須雲川沿いのルートは水の気配を感じながら歩ける。
昔の畑宿の写真と、いまの畑宿の様子を見比べてみた。
写真左が金指ウッドクラフトの金指ナナさん。故・金指勝悦さんの奥さま。
金指ウッドクラフトでは、さまざまな種類の寄木細工の販売もおこなっている。
金指ウッドクラフトを出ると、時刻はちょうどお昼過ぎ。畑宿にあるお蕎麦屋さん「桔梗屋」で昼食を取ることにする。林さんが頼んだのは、名物のざるとろ。
「とろろたっぷりで力が出ますね。腹持ちも良さそうなので、ハイキング途中の昼食にもピッタリです」
腹ごなしに、畑宿から少し上がったところにある石畳の道を歩くことにする。旧街道を象徴する石畳の道。
「一部は江戸時代のものがそのまま残っているんですよ」と金子さんが教えてくれる。
「これまで何人の旅人たちが、この石を踏んだのか、なんて考えながら歩くと、感慨深いですね」
金子さんは、歌川広重の浮世絵、東海道五十三次や昔の写真を見せながら、箱根の旧街道にまつわる様々な話を聞かせてくれる。
「すぐそこにはクルマが走る道路があるのに、すこし脇に逸れただけでこんなに歴史が詰まってる。日本全国旅してきましたけど、箱根ってすごいなあと改めて思います。歴史を感じながら歩くには最適な場所ですよね」と林さん。
桔梗屋さんは、囲炉裏がある雰囲気の良い古民家。
名物のざるとろ。これで普通盛りだから、大盛りのボリュームは言わずもがな。
旧街道を象徴する石畳の道。江戸時代には象が通ったこともあるという記録も残っている。
次に向かったのは甘酒茶屋。13代目の当主である山本 聡さんが出迎えてくれた。
「400年やっていますからね。良いときばかりじゃありませんでしたよ。先代の時は週にお客さまが1人なんてこともあったそうです。でも、うちの甘酒のおかげで命拾いしたと言っていただけたこともあるので、閉めるわけにはいかないです」
江戸時代初期の創業当時からまったく変わっていないという甘酒をさっそくいただくことにする。
「美味しい! これって参勤交代の殿様が飲んだものと同じものってことですよね。なんだかすごくありがたい飲み物です(笑)」
「畑宿からここに来るまでに、すごい坂があったでしょう。あの追い込み坂っていうのが、うちの最大の隠し味なんですよ。あそこで疲れ切った体に、江戸時代のスポーツドリンクともいえる、栄養たっぷりの甘酒が染み渡るって言ってくれるお客さまも多いです」と、山本さんが笑う。
「……」
実は、今回は畑宿から甘酒茶屋まではバスでスキップしてきたのだ……。
「次は絶対に歩いてきます!」と林さん。でも隠し味なんてなくても、とっても美味しい。
写真右が甘酒茶屋13代目の山本聡さん。 “おもてなし”を人のカタチにしたような人物。
甘酒茶屋の甘酒の原料は米と米麹だけ。余計なものはいっさいなし。
蕎麦と甘酒でたっぷりとパワーチャージした後は、芦ノ湖までゆるやかに下っていく。途中、ちょっと脇道に逸れてお玉ヶ池を経由し、芦ノ湖湖畔に出る。この日はあいにく富士山は雲の中だけど、よく晴れた気持ちの良い気候。芦ノ湖湖畔からすこし行くと、唐突に巨大な杉たちが立ち並んだ場所に出る。
江戸時代に旅人たちを風雨から守る目的で植えられた杉たち。樹齢300年を超える杉が約400本残っている。ここで、金子さんが明治初期の杉並木の様子を撮影した写真を見せてくれる。籠に乗った旅行者が、まさにいま立っている場所を通過している。
「なんだかタイムスリップしたような不思議な感覚ですよね。当時の服装はいまの高性能ウェアとは比べものにならないから、もし雨に降られたら命に関わったんでしょうね。そうやって考えてみると、この杉並木も美しいだけじゃなくて、ありがたい! って気持ちも湧いてきます」
「ただ歩いているだけじゃなくて、歴史を知ることで同じ場所でもまったく違う見え方がしますからね。僕が箱根を何度歩いても飽きないのも、そういう時間を超えた要素があるからだと思っています」
お玉ヶ池の木道を歩く。秋には葦が群生しその時期も美しい。
箱根の関所手前にある杉並木。今後も守り続けていきたい場所だ。
旅の締めは恩賜箱根公園。金子さんが家族でよく訪れる場所でもあるという。
「この恩賜公園は箱根の中でも僕が大好きなポイントのひとつです」
金子さんが少年のように笑う。
先ほどまでの自然とはまたひと味違った、美しい庭園を通り抜けて弁天の鼻展望台へと出る。目の前には夕陽に輝く芦ノ湖。旅のクライマックスに相応しいロケーションだ。
「歴史やストーリーをなぞって、その土地に根を張った方々と交流しながら歩くと、ぜんぜん見え方が変わります。ただ、良い景色、だけが目的になってしまうとそれこそ天気が悪かったら、もうまったくだめ、ということになってしまいますもんね。今回の歩き旅で、箱根のことを改めて良いなあと思いました。富士山が見えなかったのは少しだけ残念でしたけど、そのぶん歩きながら箱根の歴史に思いを馳せることができましたから、結果オーライです」
林さんが今回の旅を振り返る。
「湯坂路といって、旧街道よりも古い、鎌倉時代に使われていた道も良いんですよ。あとは最乗寺から明神ヶ岳に登る道とか」
金子さんのおすすめルートを、持参した地図でチェックする林さんの瞳が知的好奇心で輝く。
「箱根って、歩く速度じゃないと見落としてしまう魅力がたくさんあることに、今回気付けました。まだまだ知らない箱根、いっぱいありますね」
弁天の鼻展望台からの眺め。恩賜箱根公園は桜の名所でもある。
text:櫻井卓
photo:木本日菜乃
歴史と自然を感じながら 地元ガイドさんと 箱根・旧街道をゆく
おすすめポイント
- 箱根の歴史を追体験できる
- 絶品甘酒のご褒美あり
- 運が良ければ富士山も
この旅について
林紗代香さんはトラベルカルチャーマガジン「TRANSIT」の編集長。みずから世界各国へ取材で飛び回っていて、名所だけでなく、その土地の歴史文化も見て回る。 そんな林さんが昨年から東京と箱根の二拠点生活を開始。 箱根の自然に惹かれたという林さんが、箱根出身のガイド金子森さんの案内で、歴史と文化の詰まった旧街道を行く。
紹介する人
10:00
箱根湯本駅
START!
箱根登山バス「葛原」バス停まで約10分
10:20
豊栄荘
15分
須雲川自然探勝歩道を徒歩で55分
11:30
金指ウッドクラフト
30分
徒歩1分
12:00
桔梗屋
40分
徒歩すぐ
12:45
畑宿一里塚
10分
箱根登山バス「畑宿」〜「甘酒茶屋」まで約10分
13:05
甘酒茶屋
40分
徒歩で15分
14:00
お玉ヶ池
5分
旧東海道杉並木を徒歩で45分
15:00
神奈川県立恩賜箱根公園
COMPLETE!